瓜生中 公式ブログ
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仏教

釈迦如来の役割とは?印の意味も詳しく解説!

釈迦はなぜこの世にうまれてきたのか?

釈迦の誕生日にはなぜ花を飾り、甘茶(あまちゃ)をかけるのか?

釈迦がうまれたとき、父親はどう思ったか?

 

エピソードを交えて解説しました。

イエス・キリストはさまざまな苦しみを抱えるこの世の人々を救うためにこの世に生まれた救世主(きゅうせいしゅ・メシア)だった。

 

このような救世主を求めるメシア思想は古くから世界中に存在していた。

そして、現代でも人々は救世主が現れることを待ち望んでいる。

現代の救世主はさしずめスーパーマンやバットマンというところだろう。

 

インドでも釈迦が誕生するはるかに以前からブッダと転輪聖王(てんりんじょうおう)という救世主が現れることが待望されていた。

転輪聖王とは圧倒的な武力によって世界を征服して世界平和を実現する理想的な王のことである。

また、ブッダは絶対的な正義を人々に教え、戦争のない平等な社会を実現して人々を永遠の幸福に導く存在だ。

 

釈迦が生まれたとき、アシタという人相占いの得意な仙人がお祝いに駆け付けた。

アシタは生まれたばかりの釈迦を見て「この子は将来、ブッダか転輪聖王のどちらかになるだろう」といったという。

そのように言った後、アシタは涙を流して悲しんだという。

 

人々がどうしてそんな素晴らしい子どもが生まれたのに泣いているのかと聞くと、次にように応えた。

すると、アシタは素晴らしい子どもの誕生に立ち会えたことは嬉しいが、自分はもう年老いているので、この子がブッダや転輪聖王になる姿を見ることができない。それが悲しくて泣いているのだと答えたという。

釈迦の誕生日

毎年四月八日、各地のお寺では釈迦の誕生日を祝う「降誕会」または「花まつり」が行われる。

花御堂と呼ばれる四本の柱の上に小さな屋根をかけた建物のミニチュアを造り、屋根の上いっぱいに色とりどりの花を飾る。

 

花御堂の中には水盤の中に右手を上に、左手を下に向けた小さな釈迦如来像をまつる。

この像は釈迦が生まれたばかりのときに天上天下唯我独尊(てんんじょうてんげゆいがどくそん)、神々の世界(天上)でも人間の世界(天下)でもただ(唯)わたし(我)ひとり(独)が尊い存在(尊)であるといったという伝説にちなむものである。

 

釈迦が生まれたとき、天界の神々が誕生を祝って天華(てんげ・天界の華)と甘露(かんろ)という悟りに導く神聖な水を雨のように降り注いだという。

 

釈迦の誕生日を「花まつり」といい、花で屋根を飾るのはこの伝説にちなんでいる。

また、釈迦の像には甘茶(あまちゃ)をかけるが、これは甘露の雨を降らせたという伝説に基づくものだ。

 

ちなみに、甘茶は甘茶の木というアジサイに似た木の葉、あるいはアマチャズルというつる草の葉や茎を乾燥させたものを湯で煮出したもので、ほんのりとした甘みがある。

ところで、先の述べたように大乗仏教が伝えられた中国や日本では釈迦の誕生日は旧暦(きゅうれき・明治初年まで使われていたカレンダー)四月八日(今の五月八日前後)ということになっている。

 

しかし、タイやビルマ(ミャンマー)など、小乗仏教(しょうじょうぶっきょう)が伝えられた東南アジアの国々では二月一五日が釈迦の誕生日ということになっている。

 

中国や日本では二月一五日は釈迦の涅槃(ねはん)の日(亡くなった日)に当たり、涅槃会(ねはんえ)という法要(ほうよう)が営まれる。

ただし、釈迦が実在の人物であることは証明されていますが、誕生日や亡くなった日がいつかということについてはハッキリしたことはわかりません。

釈迦の父の喜びと心配

アシタの予言を聞いて誰よりも喜んだのは釈迦の父親だった。

釈迦の父はカピラヴァスツという小国の王だったが、当時、マガダ国という大国がインドの広い地域を支配下に置いていた。

カピラヴァスツもマガダ国の傘下にあり、日本の江戸時代でいえば徳川幕府(とくがわばくふ)の支配下にある大名のような存在だったのである。

 

だから、息子が転輪聖王になればマガダ国など物の数ではない。

当然のことながらカピラヴァスの支配下に入る。

そうなれば、文字通り左団扇(ひだりうちわ)で一生安泰である。

 

このように考えた釈迦の父が喜んだのは当然である。

しかし、一方ではブッダとなる可能性もある。

悟りを開いてブッダとなるためには家族や地位、財産などすべてを捨てて修行の旅に出ることが求められる。

 

そのことを考えると父は夜もおちおち眠ることができないほどの不安にかられたのだった。

そして、釈迦がブッダにならないようにさまざまな方策(ほうさく)を講じたのだった。

夏には涼しい宮殿を作って住まわせ、冬には温かい宮殿を用意して住まわせた。

 

そして、幼少のころから周囲には若くて美しい女性ばかりをはべらせて世話をさせ、食卓には最高の御馳走をならべた。

また、少し大きくなると来る日も来る日も女性たちに囲まれて宴席(宴席)を開き、心地よい音楽を奏でさせた。

さらには王宮からは外に出ないように常に監視させた。

 

これは王宮の外に出て醜いものや、庶民が生活に苦しむ姿を見せないためだった。

そんな生活が続けば続くほど、これが本当の幸せなのか?

本当の幸福とは何なのかということを深く考えるようになっていったのである。

 

年とともに疑問は募(つの)る一方だった。

そして、29歳のとき、ついに釈迦はすべてを捨てて王宮を飛び出し、修行の旅に出たのである。

それから6年後、ついに偉大な悟りを開いてブッダとなった。

 

父のブッダ阻止(そし)作戦は徒労(とろう)に終わったのである。

釈迦如来の印(いん)は何をあらわしているのか?

仏像は手でさまざまなジェスチャーをしている。

この仏像の手つきのことを印相(いんぞう)といい、略して印という。

印は仏像の種類によって異なり、印を見ただけで如来や菩薩(ぼさつ)の種類を見分けることができることもある。

 

そして、われわれ人間も手つきによってさまざまな意思表示(いしひょうじ)をしますが、仏像の印にもそれぞれ意味がある。

釈迦如来は右手の手のひらを前に向け、肩のあたりにすえ、左の手のひらは上に向けて左の膝のあたりに置いている。

これを施無畏印(せむいいん)、与願印(よがんいん)といい、セットになっていて次のような意味がある。

 

先ず、右手の施無畏印は畏(おそれ)の無(む)いことを施(ほどこ)す印である。

釈迦は偉大な宗教家であるとともに、今風に言えばきわめて優秀なカウンセラーである。

だから、釈迦のもとには悩みや苦しみを抱える人が相談にやってくる。

 

しかし、釈迦(ブッダ)はとんでもなく偉大な人なので、相談に来た人は緊張したり恐れをなしたりして満足に相談できないことがある。

そこで、右手を挙げて「こわがらなくてもいいですよ!楽にしなさい」ということを示したのが施無畏印である。

そして、与願印は願うこと(願)を与える(与)印という意味である。

 

膝の上に左手を静かに置いて「願い事があったら何でも言ってみなさい。なんでもかなえてあげますよ!」ということをあらわしているのである。

また、五本の指を軽く開いた両手を胸の前に据えた釈迦如来像も見られる。

 

これは説法印といわれるもので、文字通り釈迦が教えを説いていることをあらわしている。

さらに、左手の手のひらを上に向けてヘソの下に置き、その上に同じく手のひらを上に向けた右手を重ねた印がある。

これは坐禅をするときの印で禅定印(ぜんじょういん)、略して定印(定印)という。

 

定印は釈迦が菩提樹の下で坐禅をして悟りを開いたときのポーズをもとにしたものである。

これらの印は釈迦の説法や布教(ふきょう)活動、悟りを開いたときの様子をもとにしている。

印を見ていると生前の釈迦がよみがえって来るようで興味深い。

まとめ

  • 釈迦は人々を救う救世主としてこの世に生まれた。
  • 釈迦の誕生日には伝説に基づいて花を飾り、甘茶をかける。
  • 釈迦の誕生に際して父は喜びと不安の入り混じった複雑な気持ちになった。
  • 釈迦如来像の印には深い意味がある。

 

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