瓜生中 公式ブログ
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仏教

お釈迦様は実在したのか?シッダールタは幼名、ルンビニってなに?

仏教の開祖(かいそ)釈迦(しゃか)の生涯について書きました。

釈迦はいつどこで誰の子として生まれたのか?

釈迦は悟りを開く前に想像を絶する厳しい苦行をした。

 

しかし、苦行をあっさりと捨てて菩提樹の下で坐禅を組み、ついに偉大な悟りを開くことができた。

釈迦は実在の人物かどうか?

今回は釈迦が悟りを開くまでを書きました。

お釈迦様は実在したのか?

1898年、イギリス人のペッペという人がインドで釈迦の墓を発掘した。

墓の中から舎利容器(しゃりようき・骨壺〈こつつぼ〉)が見つかり、その表面に釈迦族の聖者(せいじゃ)、つまり、釈迦を埋葬したということが書いてあった。

骨壺に書かれていた言葉は古い経典にも同様のものがあり、その後、考古学(こうこがく)的な調査を行った結果、中の仏舎利(ぶっしゃり・釈迦の遺骨〈いこつ〉)が本物であることが分かった。

 

これによって釈迦が歴史上の実在の人物であることが証明されたのである。

発掘された舎利容器は今もインドの博物館に納められている。

また、仏舎利はタイ王国が引き取り、当地の寺院に納められた。

 

そして、仏舎利の一部は大正時代にタイの国王が日本を親善訪問したときに日本に贈られた。

このとき、日本の仏教界では各宗派が協力して名古屋に覚王山日泰寺(かくおうざんにったいじ)という寺院を建て、本堂に仏舎利とともに送られたタイの仏像を本尊として安置し、本堂に背後にはタイなどで見られるパゴダを作って仏舎利をまつった。

 

これが日本にある唯一の由緒ただしい釈迦の遺骨である。

ブッダが生まれたときのエピソード

ブッダとはサンスクリット語(インドの古い言葉)で「目覚めた人」「悟りを開いた人」という意味である。

何を悟ったのか?

これについては悟りを開いた釈迦自身にしか分からないし、釈迦自身、言語を超えている、つまり、言葉で伝えることはできないといったのである。

 

しかし、あえていえば絶対的な心理のすべてを知ることができたということだろう。

絶対的な心理とは遠い過去から未来永劫(みらいえいごう)に渡って絶対に変わることのない心理、真実ということである。

たとえば、1+1=2のようなものだ。

 

これはとてつもなく遠い過去から未来にいたるまで決してかわることはない。

地球の寿命は後、40億年といわれているが、将来、地球がなくなって人類も滅亡してもどこかほかの星に人類のような高等な生物が住んでいれば、やはり1+1=2であって、決して3や4にはならないのである。

 

別の言い方をすれば、われわれが行こうとするすべての道を知っているということだ。

だから、釈迦に道を聞けば迷わずに行くことができる道を教えてくれてちゃんと目的地に行くことができるのである。

そういう道を余すところなく悟った人がブッダといわれる。

 

だから、釈迦の以前にも後にもこのような真理(道)を知りえた人がいると考えられ、大乗仏教では阿弥陀如来や薬師如来などの多くのブッダの存在が考え出された。

そして、未来に現れるブッダの代表が京都・広隆寺(こうりゅうじ)の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゆいぞう)で有名な弥勒菩薩なのである。

 

このように、仏教の世界には多くのブッダがいるが、歴史上の実在の人物でブッダとなったのはお釈迦様だけである。

シッダールタの実在

釈迦の幼名はゴータマ・シッダールタという。

「ゴー」は「牛」、「タマ」は「最上の」、「シッダールタ」は「目的を達成した人」といいう意味である。

つまり、「目的を達成した最上の牛」というのが釈迦の幼名である。

 

ヒンドゥー教では牛を神聖視していることから、偉大な悟りを開いた釈迦を最上の牛にたとえたのだろう。

そして、目的とは「悟り」のことで、それを達成した人ということである。

このことからも分かるように、この名前は後世の仏教徒たちが尊敬を込めて名付けたものだろう。

 

中国ではシッダールタは悉達(しっだ)と訳され、日本でも悉達太子(しっだたいし)像という釈迦の少年時代の姿をあらわしたというものが2、3ある。

ルンビニーとはお釈迦様の生まれたところ

釈迦は今から約2500年前にカピラヴァスツというインドの小国の王子として生まれた。

釈迦の父はシュッドーダナというこの国の国王、母はとなりの王国から嫁いできたマーヤー(摩耶夫人〈まやぶにん〉)という人。

摩耶夫人がお産のために実家に帰る途中、ルンビニーというところのオアシスで休憩したときに生まれたという。

 

ルンビニーは現在ネパール領だが、釈迦の遺跡として古くから多くの巡礼者(じゅんれいしゃ)が訪れている。

1997年には世界文化遺産に登録され、今もアジアを中心に多くの人が訪れている。

伝説によれば釈迦はここで摩耶夫人の右わき腹から生まれたという。

 

そして、生まれてすぐに7歩あるいて「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」といったと伝えられている。

天上天下唯我独尊とは神々の世界(天上)でもわれわれ人間の世界(天下)でもただ(唯)わたし(我)ひとり(独)だけが尊い存在(尊)であるという意味である。

 

これはもちろん後世の伝説の中で作られた話で、いくら釈迦といえども生まれてすぐにそんなことを言ったわけではない。

しかし、釈迦は歴史上の人物の中でただひとり悟りの境地に達した人である。

 

そして、悟りの内容を人々に説いて多くの人々を救うことになる。

その意味でただひとり尊い存在であることに間違いはない。

さて、釈迦が生まれてから七日目に生母(せいぼ)の摩耶夫人は亡くなった。

 

その後は母の妹のマハー・プラジャーパティーという人に育てられて王子とした何不自由のない幼少時代を送った。

しかし、生まれつきものごとを深く考える性質だった釈迦は人生の問題について考え、悩むようになった。

というのは王子としての生活は物質的には満たされている。

 

また、将来、国王を継ぐ立場にある皇子の地位は精神的にも満足できるものかもしれない。

しかし、物質的なものはやがて滅び、王国もやがては滅亡することは歴史が証明している。

では、本当の永遠の幸福とは何なのか?

 

この問題が釈迦を悩ませたのであり、年齢を経るにしたがってますます悩みは増していった。

釈迦は16歳ぐらいのときにヤショーダラーという女性と結婚し、その後、ラーフラという男の子が生まれた。
他人(ひと)からみれば安定した幸せな家庭ができたようだった。

 

しかし、それでも釈迦は満足せず、悩みはますます深くなっていった。

そして、29歳のとき、王子としての地位や財産、家族などすべてを捨てて王宮を飛び出したのである。

古くからインドでは家族や財産などすべてを捨てて修行の旅に出る出家(しゅっけ)はふつうに見られることだった。

 

そして、釈迦もこの出家の習慣に従ったのである。

釈迦の苦行(くぎょう)

王宮を飛び出した釈迦は一枚の粗末な衣(ころも・大きな布)をまとってはだしで修行の旅にのぼった。

そして、最初に当時、有名だった聖者(せいじゃ)を訪ねて問答をしたが、釈迦が求めていた本当の幸せについては解答が得られなかった。

 

聖者のもとを去った釈迦はさらに旅を続け、今度は修行者がすさまじい苦行をしている苦行林(くぎょうりん)というところに行った。

 

以降、ここで五人の苦行者とともに想像を絶するような激しい苦行に励むのである。

苦行はインドで古くから行われていた修行方法で、今もインド各地で苦行者の姿を見かけることがある。

 

苦行の内容はさまざまで、長期間の断食(だんじき)や眠らない修行、太陽を見続けるとか絶対に坐ったり、横になったりしない、さらにはいばらの上に寝つづけたり、鎖やムチで体を打ち続けるなどの修行がある。

 

釈迦はこれらの苦行を次々と試みたという。

その結果、歯と髪は抜け落ち、やせ衰えて骨と皮だけになってしまったという。

 

その姿をあらわした仏像に釈迦苦行像というものがあり、仏像発祥の地ガンダーラ(パキスタン)などから2世紀から5世紀ごろの像が発見されている。

中でも極めてリアルな苦行像が今もパキスタンのラホールの博物館に納められている。
この像は1998年に日本で公開されて大きな話題になった。

 

また、この像のレプリカが2005年の愛知万博のときにパキスタンのパビリオンで展示された。

そして、万博終了後、パキスタン政府から鎌倉の建長寺に寄進され、今も建長寺の法堂(はっとう〈禅宗寺院の講堂〉)に納められており、いつでも拝観することができる。

 

さて、釈迦は来る日も来る日も苦行に励んでいた。

長期の断食や体を痛めつける苦行によってぐったりした姿を見た人は、釈迦が死んだと思ったという。

降魔成道(ごうまじょうどう)

しかし、死に至るような激しい苦行をしても求める悟りの境地に至ることはできなかった。

そこで、釈迦は苦行をあっさりとやめてしまったのである。

苦行林を出た釈迦はナイランジャー川という川で沐浴(もくよく・水浴び)をして修行で土まみれになったからだを清めた。

 

このとき、スジャータという村娘がミルク粥を作って釈迦のもとに毎日、持ってきてくれた。

これを食べて釈迦はみるみる体力を回復していった。

そして、近くの菩提樹(ぼだいじゅ)という木の下に行って坐禅(ざぜん)を組んだ。

 

つまり、深い瞑想に入ったのである。

数日後、瞑想は深まって悟りの境地に近づいた。

そのとき、大勢の悪魔が現れて釈迦が悟りを開く邪魔をした。

 

釈迦がとっさに右手の人差し指を地につけると、地の神が加勢してくれて悪魔は(しゅんじ)に退散した。

それと同時に悟りを開くことができたのである。

これを「降魔成道」といい、仏教が成立する基盤が確立した極めて重要なできごとである。

 

つまり、魔を降して(降魔)道(悟り)を完成(成)したのである。

インドでは釈迦が生まれるはるか以前から瞑想(坐禅)が修行の中心に据えられていた。

今でもインド人は専門の修行者ではなくても瞑想をしている光景をよく見かける。

 

釈迦も幼少時代からよく坐禅をしたといわれ、15歳ぐらいのときには坐禅によって悟りに近い境地を体験したことがあるという。

そのことを思い出した釈迦は苦行を捨てて坐禅に賭けることにしたのである。

ともかく釈迦は坐禅によって偉大な悟りを開くことができた。

 

中国や日本では12月8日のことだとされている。

 

この日には各地の寺で「成道会(じょうどうえ)」という法要が営まれ、僧侶や信者の人たちが釈迦の成道を祝い、自らも釈迦と同じように悟りに向かって努力することを誓う。

とくに臨済宗(りんざいしゅう)、曹洞宗(そうとうしゅう)、黄檗宗(おうばくしゅう)の禅宗(ぜんしゅう)三派では重要視する。

まとめ

  • 釈迦はいつどこで生まれたのか。
  • シッダールタという釈迦の幼名の由来。
  • どうして出家(しゅっけ)したのか。
  • 悟りを開く前の厳しい苦行。
  • 菩提樹の下で坐禅(瞑想)して悟りを開く。