瓜生中 公式ブログ
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寄付に積極的な欧米人

欧米の事業化や俳優、歌手などは生活困窮者や災害の被害者などに積極的に寄付をする。

今回の新型コロナウィルス騒動でもIT企業の経営者が多額の寄付を申し出ているのをはじめ、歌手などがチャリティーコンサートなどを行って資金提供を行っている。

そうした動きはもちろん日本でも見られるが欧米ほど盛んではないのが現実である。
欧米人がこうした寄付に積極的で足取りが軽いのは、その根底にキリスト教の文化があるからだと考えられる。

「聖書」には蓄財をすると神の怒りを買って地獄に堕ちる、女性や子ども、身体の不自由な人、生活困窮者には富を分け与えよ、財産を持ったままでは天国に行けない、ということが再三にわたって説かれている。

キリスト教徒の頭の中にはこのような「聖書」の言葉が常に保たれているのではないだろうか。
つまり、蓄財をすることに対する罪悪観があり、常に財を吐き出すタイミングを待っているのではないか。

だから、今回のような事態になると喜んで寄付をするのかもしれない。

もちろん、日本人の精神的バックボーンになっている仏教でも寄付を奨励している。
仏教には「喜捨」という言葉があるが、これは文字通り喜んで財を捨てる、寄付するという意味である。

そして、布施をするとその功徳によって悟りの境地に至ることができる、つまり、成仏することができるといわれている。
だから、日本でも古くから天皇や貴族などが寺に多額の寄進をしてきたのである。

しかし、キリスト教が財を貯めこんで貧しい人のために施さないと地獄に堕ちるなどと強調したのに対し、仏教では布施を勧めるがそれをしなかったときの罰則は説いていない。

日本で「仏教」といわれるようになったのは明治以降のことで、古くは「仏法」「三宝」などと言われていた。
仏教といわれるものは「教え」ではないのである。

「キリスト教」や「儒教」などの「教え」は人々をその教えで統制して導いて行く性質のものである。
だから、それに従わない場合、甚だしきは地獄に堕ちるなどという罰則を伴う。

しかし、仏教は極めて温和な宗教で従うか従わないかはあくまでも個々人の自主性に任されているのである。

このような点が欧米人を中心とするキリスト教徒と曲がりなりにも仏教である日本人との寄付に対するスタンスの違いにあらわれて来るのではないだろうか。

キリスト教徒は最後の審判で地獄行きを勧告されることを、われわれが想像する以上に恐れているのではないだろうか。
そのことはかずかずの小説や映画などにもあらわれているということができる。

彼らが寄付に積極的なのはそこのところに原因があるのかもしれない。

いずれにしても「性善説(人は生まれながらにして善人であるという説)」に立てば、困っている人を見て手を差し伸べるのは人間の自然の本性ということになる。

今日、国会で質問に立った例の自民党の岸田政調会長は新型コロナウィルス騒動で仕事がなくなって困窮している人に対して性善説の立場から一日も早い支援を実現して欲しいと述べていた。

この緊急事態に際して最も大切なのは困窮者を助けたい、見ていられないという人間の素朴な心である。
「政治」はときとしてその心を抑制することを忘れてはならない。

先日の「日曜討論」で岸田政調会長は政治の立場ということを強調していた。
それが今日の国会では「性善説」を強調して見せた。
現実を鑑みて一歩、成長したのかもしれない。
そうだと良いが……。