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聖徳太子

聖徳太子実在の証拠はある!不在説の理由も専門家が解説!

日本の歴史の中でも屈指の有名人、聖徳太子は余りにも謎や伝説のヴェールに覆われているため、最近では本当はいなかったのではないかという「聖徳太子不在説」が話題になっています。

しかし、聖徳太子のモデルとなる人物が天皇家の一人として実在したことは確かです。実在に迫る証拠をそろえて聖徳太子の実像を追います。

聖徳太子不在説の理由

戦前は皇族の一人である聖徳太子がいなかったなどということは口が裂けても言えなかった。

しかし、近年になって聖徳太子不在説というのが話題になっている。

 

不在説の根拠としては聖徳太子に関する『日本書紀』などの資料が聖徳太子よりも一世紀も後に作られたもので、史実に沿った確実な資料ではないということ。

また、聖徳太子という名前も「聖の徳を持った大王家(天皇家)の王子」という意味で、天皇家の徳の高い人物に与えられる名称でその人物を特定することができない。

これらの理由を挙げて聖徳太子は存在しなかったという主張がなされている。

 

歴史的人物の実在性

しかし、歴史書というものは歴史をリアルタイムで記録したものではない。

たとえば、鎌倉幕府についてつづった『吾妻鏡』にしても編纂された年の一二〇年前から約三四年前までの歴史をつづったもので、初期の歴史的出来事と編纂年までのあいだには一〇〇年以上の隔たりがある。

 

また、歴史書は東西を問わず為政者によって作られたもので、為政者に都合の良い粉飾がなされることは周知の事実である。

そして、大きな業績を残した人物は一〇〇年ほどの間にどんどん伝説化されて行く。

とくに聖徳太子は生前から伝説化されていたと伝えられ、その実像はたくさんの衣装を着せられている。

 

したがって、同時代の推古天皇や蘇我馬子、物部守屋についても確実な資料はないことになり、実在の有無を明言することはできないということになる。

そうなると、古代史の人物はおおむね架空の人物ということになって来る。

 

聖徳太子の実在に迫る証拠の数々

歴史を読み取る上に大切なことは、時代の経過とともに帰せられた多くの衣を一枚一枚剥ぎ取ってその無垢の姿に迫ることである。

聖徳太子についてもその厚着の衣をはぎ取って行くと、その核となる実在が見えてくるだろう。

 

もちろん、一一人の言葉を一時に理解したとか、黒駒という駿馬に乗って富士山を初登頂したなどという聖徳太子はいなかった。

しかし、皇族の一人でおそらく皇太子になったであろう人物がいたことは否定できないだろう。

 

また、聖徳太子は「十七条の憲法」や「冠位十二階」を定めたことでも知られている。

これらに関しても聖徳太子よりずっと後に作られたもので、不在説をとなえる人たちはまったくの偽作であるという。

 

しかし、聖徳太子の時代、蘇我馬子が強大な権力を握り、独裁的なな政治を行っており、国家の秩序は大いに乱れていた。

また、この時代は朝鮮半島情勢が緊迫しており、新羅などが日本の混乱に乗じて侵略して来ることが危惧されていた。

 

このような情勢を憂慮した良識ある人々は蘇我氏による恣意的な政治を廃して法(律令)の支配による中央集権国家の樹立が急務であると考えていた。

彼らはシッカリとした国家の基盤がなければ、新羅など攻められた場合、ひとたまりもないと考えたのである。

 

「十七条の憲法」の骨子は聖徳太子が作った

「十七条の憲法」は聖徳太子が仏教による理想国家の指針を表明したものといわれているが、実際に仏教思想に関連した項目は三条しかない。後の一四条は役人の心得を示したものである。

このことは蘇我氏の専横な政治によって、それだけ役人の行いが乱れていたことを示すものである。

「冠位十二階」にしても役人の上下関係の秩序が乱れていたからこそ作られたものだった。

 

そして、「十七条の憲法」や「冠位十二階」は聖徳太子の伝記が定まった平安時代の前半に整備されたものであろう。しかし、その骨子を作ったのは聖徳太子だったと考えられる。

 

さらに太子が一〇人の訴えを一時に聞いてすべて完璧に理解したという話がある。この逸話に基づいて「豊聡耳」の名がつけられた。

これも馬子らの独裁によって不利益を蒙った人々が大勢いて、その訴えを太子をはじめとする良識派の人々が聞き届けたということだろう。

 

学会でも認められている聖徳太子の著作

また、聖徳太子は大乗仏教の中心的経典である『法華経』と『勝曼経』、そして『維摩経』の注釈を書いている。

これらは非常にレベルの高い注釈書で、現代の仏教学者の間でも高い評価を得ている。

 

そして、『維摩経』の注釈以外の二つについては太子の真作であるというのが仏教学者の定説になっている。

 

以上を総合的に見ると、先にも述べたようにわれわれ日本人のイメージの中にある伝説に彩られた聖徳太子はいなかった。

その一方で、聖徳太子が実在したことについてさまざまな証拠も求めることができる。だから、伝説の核となる人物が天皇家の一人として実在したであろう。

 

聖徳太子は蘇我馬子などの専横な政治を行う勢力に対する改革派の人々の旗手だったといえるだろう。

そして、太子に同調する改革派の人たちを一人のキャラクターに統合したのが聖徳太子だということになるだろう。

 

その意味で決して架空の人物として歴史から退席させることはできない。

第一、聖徳太子がもし不在であれば日本の古代史は大きく書き換えられなければならない。