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聖徳太子

聖徳太子の本名は不明!?キリストの伝説との関係を詳しく解説!

厩戸皇子(うまやとのおうじ)、上宮王(じょうぐうおう)などなど、聖徳太子には多くの名前が伝えられているが、そのどれが本名なのかの証拠はない。

しかし、「聖徳太子」という名前は歴史的にも多くの人が認めているはずだ。

厩の戸の前で生まれた

聖徳太子は敏達天皇(びたつてんのう)の三年(五七四、ただし異説在り)、現在の奈良県(ならけん)の橘寺(たちばなでら)という寺で生まれたと伝えられている。

橘寺(たちばなでら)は太子の父の用明天皇(ようめいてんのう)の別宮(べつぐう)があったところで、元日の朝、母の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのみこ)が侍女(じじょ)を従えて厩(うまや・馬小屋)の戸の前に差し掛かったとき、俄(にわ)かに生まれたという。

このように太子は厩(うまや)の戸の前で生まれたことから「厩戸皇子(うまやとのおうじ)」「厩戸王(うまやとのおう)」と呼ばれるようになった。

当時、厩戸をどのように発音していたかは不明だが、「うまやと」とにごらないのが正しいと思われる。

ただし、厩戸皇子(うまやとのおうじ)という名は先に述べたように厩の戸の前で生まれたということからつけられた名前で、いわばニックネームだった。

この時代、一般民衆には苗字というものはないが、それでも子どもが生まれれば何らかの名前をつけただろう。

まして、天皇の子ともなればとうぜんのことながら正式な名前があったに違いない。

しかし、聖徳太子に関してはその正式名(本名)は伝えられていないのである。

キリストの伝説との関係

前述したように、聖徳太子は厩(うまや)の戸の前で生まれた。

このことから、太子に時代にイエス・キリストの出生伝説が伝わっており、それになぞらえて厩の戸の前で生まれたという話が作られたのではないかという人たちもいる。

たしかにすでに七世紀の前半(唐〈とう〉の時代)にキリスト教の一派である景教(けいきょう)ネストリウス派が伝えられており、聖徳太子が生まれたとき(六七四年)にはイエス・キリストが馬屋の中で生まれたという生誕伝説も伝えられていただろう。

そして、その話が仏教の説話(せつわ)などとともに伝えられたことは時間的、物理的には可能である。

これに賛同する説もいろいろと出ているが、この時代に景教が伝えられたという記録はなく、仮説や創造の域を出ない。

聖徳太子の伝説 生まれの秘密

豊聡耳(とよさとみみ) 上宮王(じょうぐうおう)

昔から耳が良い人は頭が良いといわれる。

伝説は聖徳太子が子どものころに一〇人の人の意見を聞いていっぺんに理解したことを伝えている。

豊聡耳(とよさとみみ)はその言い伝えからつけられたものと思われ、『古事記』や『日本書紀』にもその名が見える。

聖徳太子にまつわる伝説の中にも小さいころから抜群に頭が良かったことを示す話がしばしば出て来る。

そして、後世、そのような伝説が作られるほど周りをアッといわせるような天才的な少年がいたことは想像に難くないといっていいだろう。

たとえば、一休禅師(いっきゅうぜんじ)の「頓智(とんち)伝説」と同じようなものである。

また、聖徳太子は上宮王(じょうぐうおう)などとも呼ばれている。

「上宮(じょうぐう)」とは聖徳太子が幼いころに過ごしていた宮殿の名で、日本では古くから人の名前をストレートに口にすること、いわゆる「名指(なざ)し」を避ける傾向があった。

そこで、その人の住んでいる場所などの名で遠回しに呼んだのである。

ちなみに、上宮(じょうぐう)の遺跡というものも存在している。

『日本書紀』には上宮は太子の父の用明天皇(ようめいてんのう)の御所(ごしょ・宮殿〈宮殿〉)の南側にあったと記している。

上宮(じょうぐう)があったといわれている地は五世紀~六世紀には大和王権(やまとおうけん)の中心地で、『日本書紀』にはこの地に皇居が置かれていたことが記されている。

また、同じく『日本書紀』には第十七代履中天皇(りちゅうてんのう)がそこに磐余池(いわれいけ)という池を作ったといい、その池のほとりに用明天皇(ようめいてんのう)の御所があったと伝えられている。

近鉄の桜井駅の近くには上宮跡(じょうぐうあと)とされる遺跡があり、「上之宮庭園遺跡(うえのみやていえんいせき)」という公園になっているが、史実かどうか確証はない。

けっきょく本名は不明

ここまで述べて来たように、聖徳太子には厩戸皇子(うまやとのおうじ)、豊聡耳(とよさとみみ)、上宮王(じょうぐうおう)などさまざまな名がある。

そして、奈良時代の中期に作られた日本最初の漢詩文集(かんしぶんしゅう)『懐風藻(かいふうそう)』の中にはじめて聖徳太子の名が登場する。

最近の教科書の中には聖徳太子という名前は後世につけられたものだとして、厩戸皇子(うまやとのおうじ)を本名として掲載しているものもある。

しかし、厩戸皇子(うまやとのおうじ)にしても『日本書紀』やその他の伝説に見える名で、いわゆる呼び名として伝えられて来たものなのではないか。

こう考えて来ると、本名、現代でいうならば戸籍上(こせきじょう)の正式の名前が何だったのか、というところが気になるところである。

たとえば、聖武天皇(しょうむてんのう)や桓武天皇(かんむてんのう)などについては、『日本書紀』などをはじめとする歴史書にハッキリと記されていることから、これが本名であるということができるだろう。

しかし、聖徳太子の場合はどうも本名というものが確定できないようで、それが不在説の証拠にも挙げられている。

ただ、たとえば倭建命(やまとたけるのみこと・日本武尊〈やまとたけるのみこと〉とも書く)は神話上の架空の人物で、「建(たける)」とは武勇(ぶゆう)にすぐれた者という意味で、九州のクマソタケルなど神話上には他にも「タケル」と名乗る人物が複数いる。

そして、ヤマトタケルノミコトという名は昔からわれわれ日本人に良く親しまれてきた。

聖徳太子についても同じようなことが言えるのであって、厩戸皇子(うまやとのおうじ)や上宮王(じょうぐうおう)よりも「聖徳太子」という名前の方がはるかに親しみがある。

このように考えれば、教科書にのせるのせない別として、聖徳太子の名を使うことに反対する理由もないと考えられる。

現に歴史学者や仏教学者の著作でも、飛鳥時代(あすかじだい・五三八~六四五)に活躍した皇族の一人を「聖徳太子」と呼んでいる。つまり、歴史的も多くの日本人に認められた名前だったと考えて良いだろう。

まとめ

厩の戸の前で生まれた

聖徳太子は厩の戸の前で生まれたという伝説から「厩戸皇子(うまやとのおうじ)」と名付けられた。

キリストの伝説との関係

しかし、キリスト教が聖徳太子の時代に伝わった証拠はない。

豊聡耳(とよさとみみ) 上宮王(じょうぐうおう)

これも幼少時代の伝説や住んでいた場所などにちなむ呼び名。

けっきょく本名は不明

「聖徳太子」という名前を使うことは多くの人が認めて来た。