瓜生中 公式ブログ
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日本の神話

神話の代表・『古事記』『日本書紀』

日本の神話はさまざまな書物に記されているが、何と言ってもその代表は『古事記(こじき)』と『日本書紀(にほんしょき)』である。

ともに奈良時代に日本の正史として編纂されたものである。

『古事記』は天武天皇(てんむてんのう・六七三~六八六在位)の詔勅(しょうちょく・天皇の命令)によって、稗田阿礼(ひえだのあれ)が記憶していた神話や伝説を太安万侶(おおのやすまろ)が書き留めたもので、和銅(わどう)五年(七一二)に完成し、元明天皇に献上された。

上・中・下巻からなり、上巻の「神代の巻」は天地創造から天照大御神などさまざまな神々にまつわる話が展開され、中下巻の「人代の巻」には初代神武天皇から推古天皇(すいこてんのう・五九三~六二八在位)までの歴代天皇の系譜や事跡、各時代の事件などが記されている。

このうち、主に神話が語られているのは上巻だが、中下巻にも神話的な話が少なからず含まれている。

「天地開闢(てんちかいびゃく・天地創造)」から始まる上巻には、イザナギ・イザナミの大八州国(おおやしまのくに・日本列島)を造り、八百万(やおよろず・非常にたくさんのという意味)の神を生み出す物語。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)の「岩戸隠(いわとがく)れ」の物語やスサノオノミコトが出雲に下った話。

天孫瓊瓊杵尊(てんそんににぎのもこと・天照大御神の孫)の降臨(こうりん・天界から地上に降りて来ること)や大国主命(おおくにぬしのみこと)の国譲(くにゆず)りの話。

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さらには、海幸彦(うみさちひこ)、山幸彦(やまさちひこ)の物語など、われわれにもなじみの深い神話が多く収録されている。

また、中巻には初代現人神(あらひとがみ)神武天皇(じんむてんのう)の東征(とうせい)やヤマトタケルの物語などの神話的物語が記され、下巻の歴代天皇の事跡にも神話的要素が多く見られる。

次に『日本書紀』は天武天皇(てんむてんのう)の十三年(六八一)に詔勅(しょうちょく)が下され、養老(ようろう)四年(七二〇)に太安万侶(おおのやすまろ)らによって完成を見た。

『日本書紀』は全三十巻からなり、第一巻と第二巻は「神代の巻」で天地創造からはじまる神々の世が記され、第三巻以降は神武天皇から持統天皇(じとうてんのう・六九〇~六九七在位)までの事跡を綴ったもので、年代を追った編年体(へんねんたい)の形式で書かれている。

『古事記』と共通する神話を多く収録するが、「一書(あるふみ)に曰(いわ)く」として多くの異説を掲載しているのが『日本書紀』の特徴である。

これはより多くの資料を集めて掲載したことを示すもので、同じ神話が地方や時代によって異なった形で伝承されていたことをあらわしている。

さて、記紀の編纂の目的は大化(たいか)の改新(かいしん・六四五)、壬申(じんしん)の乱(らん・六七二)を経てようやく基盤を固めた天皇を中心とする中央集権国家の基盤を固めるために、確固たる国の歴史を確立することにあった。

そのため、記紀の神話には政治的な意図が多分に見られるが、『日本書紀』ではその色彩がより鮮明である。

記紀編纂当時、大和朝廷は中央集権国家の基盤を固めた。

その朝廷の系譜が、皇祖神(こうそしん・天皇家の祖先神)である天照大御神(あまてらすおおみかみの)御子(みこ)の天孫瓊瓊杵尊(てんそんににぎのみこと)以来、連綿と続いていることを明らかにし、大和朝廷(天皇家)の正統を主張することが記紀編纂の最大の目的だった。

神々の系譜では天照大御神をピラミッドの頂点に据え、各地に鎮座する神々はその支配下にあることを明確にした。

そして、中央政府(大和朝廷)の最高権威である天皇は、代々皇孫(こうそん)の血筋として国を治め、他の豪族達はこれに従うことが遠い過去からの習わしであると主張したのである。

このことから、各地に点在する古い神社の祭神(さいじん)のなかには、記紀の神話において非常に不名誉な経歴を負わされている神も少なくない。

たとえば、長野県の諏訪大社(すわたいしゃ)の祭神のタケミナカタノ神はオオクニヌシノ神の子どもだが、天孫に国を譲ることに激しく抵抗して天照大御神の使者のタケミカヅチノ神と戦った。

しかし、強力な武力を持つタケミカヅチに一蹴され、信州まで逃走した。

タケミカヅチに追い詰められて殺されそうになったが、タケミナカタは永遠に諏訪からは一歩も外に出ないから助けてくれと、命乞いをした。

その結果、命だけは助けられて諏訪に留まることになったという。

このような不名誉をおわされた神々は他にも少なくない。

それまで地上の最高権威として君臨していたオオクニヌシも天孫に国を明け渡して出雲(いずも)に引き下がることになったのである。

このような話はもちろん、皇祖神(こうそしん)である天照大御神が絶大な権威を持ち、全国各地の神々は遠い過去にその権威に服従したということをアピールするためのものだったことは言うまでもない。

このように、記紀の神話には政治的な要素が多分にあり、当時、中央集権の基礎を固めつつあった政府の思惑によって脚色された部分が少なくない。

ただ、『古事記』と『日本書紀』を比べれば、前者の方がより純粋な神話的精神を追求したものであるということができよう。

『古事記』は太安万侶の序にもあるように、天武天皇(てんむてんのう)が古代の貴重な伝承の失われるのを恐れてこれを記録しようとしたものであり、そこには日本人のアイデンティティを確認しようとするより純粋な精神を垣間見ることが出来る。

江戸時代の国学者(こくがくしゃ)・本居宣長(もとおりのりなが)は『古事記伝』という大著の中で、『古事記』の中にこそ神代の時代から受け継がれている日本人の精神があらわされているとして、『古事記』を高く評価している。