瓜生中 公式ブログ
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日本の神話

神話とはなんなのか?!ヤマトタケルはスーパーヒーロー!

 

日本武尊(やまとたけるのみこと・以下、ヤマトタケルという)は父の第十二代景行天皇(けいこうてんのう)の命により九州の熊襲(くまそ)を成敗し、凱旋(がいせん)して帰ると息をつく暇もなく東国遠征(とうごくえんせい)を命じられ、見事これを平定したと『古事記(こじき)』『日本書紀(にほんしょき)』(以下、「記紀(きき)」と言う)には語られている。

思わず喝采(かっさい)を送りたくなるような、胸の空くような武勇談(ぶゆうだん)である。

しかし、記紀の中では景行天皇は邪馬台国(やまたいこく)の卑弥呼(ひみこ・二世紀後半)よりも前の人ということになっており、文字どおり神話の世界の人物でその実在は定かではない。

そして、その皇子(おうじ)とされるヤマトタケルも同時代の人で、やはり神話上の人物だ。

それではヤマトタケルの武勇談はまったく架空(かくう)の作り話なのかと言えば、そう簡単に決めつけることはできない。

たしかに、話自体はフィクションである。しかし、そこにはフィクションの核となる史実が隠されている。

日本の歴史が現実味を帯びてくるのは、第三十三代、推古天皇(すいこてんのう・在位五九三~六二八)を中心とする飛鳥時代(あすかじだい・五三八年~六四五年、諸説あり)ごろからのことである。

この時代に聖徳太子(しょうとくたいし)が推古天皇の摂政(せっしょう・天皇に代わって政治を行う役職)として活躍し、「十七条(じゅしちじょう)の憲法(けんぽう)」や「冠位十二階(かんいじゅうにかい)」などを定めて国家としての基盤造りに努力したことは良く知られている。

六四五年の「大化(たいか)の改新(かいしん)」、さらには六七二年の壬申(じんしん)の乱(らん)を経て律令制度(りつりょうせいど・法律による統治制度)が整備され、天皇を中心とする中央集権国家(ちゅうおうしゅうけんこっか)の基礎が確立する。

そして、七一〇年の平城京(へいじょうきょう・奈良の都)遷都(せんと)によって中央集権体制は万全の体制になった。

しかし、この時代に至っても中央政府が完全に支配したのは近畿地方を中心とした地域で、大和(奈良)から遠く離れた地方には中央に従わない勢力も少なくなかった。

九州の熊襲は比較的早く服従したが、東国(とうごく・現在の東北地方)の蝦夷(えみし)はまったく支配下に入らず、中央集権国家をおびやかす存在だった。

つまり、記紀の時代には蝦夷を平定して、はじめて中央集権が完成することになるのである。

このような状況は、記紀が編纂された八世紀の前半に至っても変わることはなかったのである。

そこで、記紀の編纂者はヤマトタケルというスーパーヒーローを創り出して見事に熊襲の首領を倒させ、凱旋すると休む暇もなく東国に向かわせてこの地を支配下に置いた。

記紀の編纂者たちはヤマトタケルというスーパーヒーローを登場させることによって、反抗する者たちを鮮やかに服従させてみせた。

このような胸の空くような話は、中央政府(大和朝廷〈やまとちょうてい〉)の全国制覇の目標を示すものでもあった。

それと同時に、そういう話を広めることによって中央集権が完璧なものであることを強力にアピールする、いわゆるプロパガンダの役割もあったであろう。

そして、この話からは中央集権国家の建設を巡る光と影の部分を見て取ることができるのである。

一見、空想上のフィクションに見える神話の中には、そのフィクションの核となる史実が隠されている。

それが神話の真実、神話の原体験だ。

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静岡県の焼津の地名の由来になった神話

ヤマトタケルの話に関連して、もう一つ神話の原体験を紹介しておこう。

東国に遠征する途中、ヤマトタケルは現在の静岡県焼津の付近で土地の豪族に教われて九死に一生を得る。

この話は記紀編纂当時、東国はおろか東海地方にも中央政府に叛旗を翻す豪族がいたことを示すものであろう。

この時代、西日本と関東は概ね大和朝廷の支配下に入ったが、まだまだ朝廷に歯向かう豪族たちが各地に割拠しており、その対応に躍起となっている中央政府の姿が浮き彫りになってはこないか。

このようにして神話を読み解いたとき、そこには現実の歴史の中でうごめく、生きた人間の姿が見え隠れする。

ちなみに、朝廷懸案の東国平定が一応の決着を見るのは、記紀の成立から約一世紀を経た、平安時代のはじめのことである。

征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が東国に遠征し、蝦夷を平定したことは良く知られている。