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日本の年間行事

即位の礼は時代とともに変化してきた?五つの儀式も解説!

即位の礼とは

即位とは君主(皇帝や国王、日本では天皇)の崩御(ほうぎょ・亡くなること)や譲位(じょうい・生きているうちに君主の座を後継者に譲ること)に伴って、後継者がその位を継承することである。

ヨーロッパなどの王政の国では新任の国王に宝冠を授与する戴冠式が即位の儀礼の中心になる。

 

日本では4、5世紀ごろに大和朝廷が確立すると、その長である大王(おおきみ・後の天皇)が頭角をあらわしてきた。
これに伴って即位に関連するさまざまな儀礼(ぎれい・儀式)が行われてきたと考えられる。

古代の即位に関連する儀礼についての詳細はハッキリしないが、第四十一代持統天皇(じとうてんのう)の即位について『日本書紀(にほんしょき)』にはだいたい次のように記されている。

 

「物部氏(もののべし)が大楯(おおだて)を立て、中臣氏(なかとみし)が寿詞(よごと)を読み上げた。

その後、忌部氏(いんべし)が剣と鏡を皇后に奉(たてまつ)り、皇后は皇位につかれた。」

記紀によれば、物部氏は初代・神武天皇以来、天皇家の警護と神事を担当してきた。楯は剣や鉾(ほこ・ヤリ)を防御する武器で、天皇を護る象徴として大楯を立てたのである。

 

中臣氏は天皇家の儀式に際して祝辞や弔辞(ちょうじ)、祈願文などを朗読する役目を担っていた豪族である。
後に一族から中臣鎌足(なかとみのかまたり)が出て中大兄皇子(なかのおおえのおうじ・後に天智天皇〈てんっじてんのう〉)と協力して大化の改新を成し遂げ、藤原姓を授けられた。

平安時代に絶大な権勢を誇った藤原氏の祖先で、寿詞は天皇の即位に当たっての祝いの言葉である。

 

中臣の名は神と人間との間を取り持つ「臣(おみ・家臣)」という意味で、古くから宮中でのさまざまな行事の際に祝詞(のりと・神に捧げることば)を読み上げていた。

忌部氏も早くから天皇家との関係が深い氏族で、朝廷の祭祀(さいし・神々をまつる行事)ではさまざまな役割を果たしてきた。

ここでは皇位継承(こういけいしょう・天皇の位を受け継ぐこと)を証明する三種の神器のうち、剣と鏡を天皇に手渡した。

 

このような即位に関連した一連の儀式は平安時代初期の桓武天皇(かんむてんのう)や嵯峨天皇(さがてんのう)の時代により大掛かりなものに整えられた。

その後、平安時代の中頃から藤原摂関家(せっかんけ)が勢力を強め、鎌倉時代の武家政権の誕生によって天皇の権威が衰えて大嘗祭(だいじょうさい)など即位関連の儀式も簡素化された。

 

さらに室町時代の応仁(おうにん)の乱(らん)以降の混乱期や幕府が朝廷の費用を極端に抑制した江戸時代には即位関連の儀式は一部の例外を除いては細々としたものとなり、中には満足に行えない天皇もあった。

また、平安時代の末から即位の礼関連の儀式は一般民衆にも公開され、江戸時代には入場料を取って芝居や相撲見物のように多くの人が押し掛けたという。

 

当時の公家の私記には見物人が押し寄せて招待されたにもかかわらず、会場に近寄れないといった不満が記されている。

明治以降の即位の礼

明治になって天皇が国家元首になると、即位の礼も桓武天皇や嵯峨天皇のころと同じように厳粛に行われるようになった。

明治天皇は慶応3年(1867)の一月に崩御した孝明天皇(こうめいてんのう)の後を受けて同年二月に皇位を継承した。

しかし、幕末から維新にかけては大政奉還(たいせいほうかん)などさまざまな出来事があったことから、「国事多難(こくじたなん)」を理由に即位の礼は翌年の明治元年(1868)に行われた。

 

明治天皇の即位の礼は平安時代初期の荘厳さを取り戻したが、奈良時代から行われた唐風(とうふう・中国風)の礼服(れいふく・衣装)などは廃して、日本風とされる束帯(そくたい)という装束が採用された。

ちなみに、今回も天皇が着用した束帯の赤茶色っぽい色は「黄櫨染(こうろぜん)」というもので、古くから天皇だけに着用が許されている。

 

また、今回も話題になった天皇が立つ高御座(たかみくら)は幕末の戦乱で焼失していた。

このため、正月や節目の行事のときに用いる帳台というものが高御座の代用として用いられた。

次の大正天皇の即位の礼は大正四年(1915)に京都御所の紫宸殿で行われた。

はじめ、大正三年に行われる予定だったが、同年に明治天皇の皇后だった昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)が崩御(ほうぎょ・天皇や皇后などが亡くなること)し、喪に服したことから一年、延期されたのである。

 

大正天皇のときに高御座が新調され、明治天皇と同じく束帯姿で儀式に臨んだ。

大正天皇は対象15年に崩御し、その後を受けたのが昭和天皇である。

昭和天皇の即位の礼は昭和3年(1928)に京都御所で行われた。装束などは明治天皇、大正天皇に準ずるものだった。

 

昭和64年(1989)1月7日、昭和天皇の崩御を受けて即位したのが平成天皇で、即位の礼は翌年の平成2年に行われた。

このとき、即位に関わる一連の儀式ははじめて皇居(東京)で行われたのである。

 

そして、平成天皇は今年4月に生前退位し、その後を受けて令和の天皇が即位し、一連の即位関連の儀式が行われている。

即位に関わる一連の儀式

1、剣璽等継承の儀

剣璽、御璽、国璽という皇位継承の証(あかし)の品を新しい天皇に引き渡す儀式。剣璽は三種の神器のうちの天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、御璽は天皇が憲法や法律などの公式の文書に捺(お)す印鑑、国璽は外交文書(条約など)に捺す印鑑である。

これを受け取ることによって新天皇が誕生する。

 

2、即位後朝見の儀

即位後の天皇が三権(さんけん)の長(ちょう・衆参両院議長、内閣総理大臣、最高裁判所長官)をはじめ、国民を代表する人たちに会う儀式。

 

3、即位礼正殿の儀

10月22日に行われて話題になった儀式である。

外国の戴冠式に当たり、新天皇が国内外に皇位を継承したことを宣言する儀式で、一連の即位の礼の中心的存在である。

今回も天皇は京都御所から運ばれた高御座に立って「おことば」を述べ、内閣総理大臣が寿詞(祝辞)を読み上げて万歳三唱した。

 

4、祝賀御列(しゅくがおんれつ)の儀

即位の礼正殿の儀が終了した後、皇居から赤坂御所までパレードをする。

正殿の儀が行われた10月22日に行われる予定だったが、台風19号などによる被災地の状況を配慮して11月15日に延期された。

 

5、饗宴の儀

即位の礼正殿の儀に参列した内外の賓客を招いて行われる宮中晩さん会。

 

大嘗祭(だいじょうさい)

以上、一連の即位の礼の儀式の後に大嘗祭が行われる。

これは例年の新嘗祭に当たるが、新天皇の即位後、はじめての新嘗祭をとくに大嘗祭として重視する。

 

天皇の一世一代の行事で、天皇自ら新穀(しんこく・新米)を焚いて天照大御神(あまてらすおおみかみ)をはじめ八百万の神に供え、自らも同じものを食べる。

古代より稲作を営む日本民族を代表して天皇が新穀を調理し、自らも食べることは現憲法下でも象徴天皇(しょうちょうてんのう)として重要な意味を持つと考えられている。

その後、天皇は伊勢神宮に参拝し、一連の儀式は終わる。