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神社

伊勢神宮の歴史は何年?ご利益や神様について

伊勢神宮(いせじんぐう)は内宮(ないくう)、外宮(げくう)を中心とする一二五の神社の総称である。

創祀(そうし)についてはさまざまな伝説があり、ハッキリとしたことは分からない。もともと天皇家の氏神をまつる神社だったが、天皇家が絶大な権力を握ると巨大化した。

そして、大化(たいか)の改新(かいしん)以降の七世紀の後半には今と同規模、同様式の社殿が出来上がり、それから式年遷宮を繰り返してきた。

 

一二五の神社の集合体 何年前にできたのか?

一口に伊勢神宮といってもその領域は非常に広く、その中に多くの社が点在している。その中心となるのが内宮(ないくう)と外宮(げくう)である。

内宮は天照大御神(あまてらすおおみかみ)をまつる神社で正式には皇大神宮(こうたいじんぐう)といって五十鈴川(いすずがわ)の川上に鎮座(ちんざ)する。

内宮から五キロほど離れたところに豊受大神(とようけのおおかみ)を外宮が鎮座しており、正式には豊受大神宮(とようけだいじんぐう)と呼ばれている。

 

内宮、外宮それぞれの下には別宮(べつみや)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)があり、両宮と合わせて一二五社が伊勢から志摩半島(しまはんとう)にかけての広範な地域に点在しているのである。

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知っておきたい日本の神話 (角川ソフィア文庫) 知識ゼロからの神社と祭り入門 古寺社巡りの愉しみ—歴史と建物の鑑賞ハンドブック

 

別宮とは祭神に特別縁の深い神をまつる社で内宮、外宮に継いで格式が高い。内宮に一〇社、外宮に四社がある。

摂社は祭神の兄弟や縁戚関係にある神をまつる神社で別宮に継ぐ格式を持つ神社だ。

たとえば、出雲大社でいえば、祭神の大国主命(おおくにぬしのみこと)の六代まえの直系の先祖であるスサノオ命をまつった素戔嗚神社が摂社で計四三社ある。

 

末社は本社の祭神とそれほど深い縁がなくてもある時期に本社の境内、あるいは境内の外にまつられた神社である。

たとえば、八幡社の境内などにまつられた稲荷社が末社に当たり、計二四社ある。

 

最後に所管社は伊勢神宮の神事や祭に用いる食物や御料(ごりょう・布や衣服)などを保管したり作ったりするところである。

塩を作る御塩殿神社(おしおでんじんじゃ)や米を保管する御稲御蔵(みしねのみくら)、神が着る衣を作る神服機織殿神社(しんぷくはたおりでんじんじゃ)など計四二社がある。

 

そして、これらの一二五社を総称して伊勢神宮と呼ぶのである。また、神宮という名称は「神の美家(みや)」の意味だという。

つまり、神が住まう美しい家、御殿ということである。

 

今では明治神宮(めいじじんぐう)や九州の宇佐神宮(うさじんぐう)、鹿島神宮(かしまじんぐう)、香取神宮(かとりじんぐう)など神宮と呼ばれる神社は複数ある。

しかし、最初に神宮と呼ばれたのは伊勢の皇大神宮だけで、古くは他の神社が神宮号(じんぐうごう)を名乗ることは許されなかった。

 

天皇家の神様

日本ではすでに縄文時代(じょうもんじだい)の末から血族を中心に小規模な集落を形成し、その祖先を神としてまつって来た。

また、祖先と同時に周囲にある山や川、大きな樹木や岩など自然界のあらゆるものに精霊が宿ると考え、こられも神として崇めて来た。

このような精霊と祖先の霊が融合したものが後に氏神と呼ばれる日本の神で、各地にこのような氏神をまつる神聖な場所(後世の神社の原型)が誕生した。

 

古墳時代(こふんじだい・紀元三世紀中ごろ~七世紀)ごろには近畿地方を中心に有力な豪族が現れ、大阪の仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)に代表されるような超大型の古墳を築いてきた。

それとともに豪族たちは祖先神をまつる社の規模を整えて行った。

 

このような時代の流れの中で五世紀後半から六世紀にかけてヤマト(奈良県)を中心に抜きん出た権力を握ったのが大王(おおきみ・後の天皇)を中心とするヤマト政権だった。

そして、彼らが自らの氏神を天照大御神(あまてらすおおみかみ)と名付けてまつったのが伊勢神宮の起源である。

 

もともとヤマト政権を樹立した天皇家も一氏族で、その氏神をまつる神をまつる建物の規模も小さかったと考えられている。

しかし、しだいに力を着けて豪族となり、五世紀前後にはついに関東地方から九州までの地方豪族を従えて絶大な権力を握った。そこで、自らの氏神をまつる社も大掛かりなものになったのである。

 

当初、神をまつるための常設の建物はなく、神が降臨すると考えられる大きな岩や樹木などの側に神を迎えて祭を営んでいた。

現在でも長野の諏訪大社(すわたいしゃ)や奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)などには、おそらく平安時代以降に建てられた参拝のための拝殿(はいでん)だけがあって、神をまつる本殿(ほんでん)がない神社は少なくない。

 

しかし、各地に有力な豪族が誕生すると、神をまつるための常設の建物も整備されるようになった。

そんな中で最初に大規模な社殿を設けたのが伊勢神宮で、続いて出雲大社(いずもたいしゃ)や大阪の住吉大社(すみよしたいしゃ)などが競うように社殿を造営した。

 

現在とほぼ同じ規模の社殿を構えたのは何年前のことか?

そして、六四五年の乙巳(いっし)の変(へん)で、それまで天皇を抑えて権力を恣(ほしいまま)にしてきた蘇我入鹿(そがのいるか)を退けた第三十九代・天智天皇(てんじてんのう)は日本の天皇の歴史上、はじめて強大な権力を握ることになった。

 

これに伴って天皇家の祖先神(天照大御神)をまつる伊勢神宮も一気にその神威(しんい・神の威力)が高まった。

そして、次の第四十代・天武天皇(てんむてんのう)の時代(六七三~六八六在位)に内宮はほぼ現在と同じ規模の本殿を構えたと考えられている。

 

また、伊勢神宮では二〇年に一度、社殿を建て替える式年遷宮(しきねんせんぐう)が行われており、平成二五年(二〇一三)には六二回目の式年遷宮が行われた。

この式年遷宮を定めたのが天武天皇で、持統天皇(じとうてんのう)の四年(六九〇)に第一回の式年遷宮が行われたと伝えられている。

 

最初の遷宮は創建から一〇年目ぐらいで行われたようである。

したがって、伊勢神宮の社殿が創建されたのは六八〇年頃と考えられる。

式年遷宮はそれまでと同じ規模、同じ様式で建て替えられるから、七世紀の末には現在見られるような壮観な社殿が完成していたと考えられる。

そして、後には外宮でも式年遷宮が行われるようになり、内宮と同じ様式の社殿が継承されるようになった。

 

伊勢神宮のご利益は?

われわれが神社やお寺に参拝する主な目的はご利益(りやく)を得るためであるといっても過言(かごん)ではない。

そして、そのご利益には「家内安全(かないあんぜん)」「病気平癒(びょうきへいゆ)」「学業成就(がくぎょうじょうじゅ)」「恋愛成就(れないじょうじゅ)」など、およそわれわれの望みのすべてが挙げられており、これらをひとまとめにして「諸願成就(諸願成就)」、つまり、すべての願い事が叶うというお守りや御札を配っている寺社も多い。

 

さて、そこで、伊勢神宮のご利益とは何だろうか?

「天神さま」として親しまれている学問の神・菅原道真をまつる天満宮(てんまんぐう)のご利益は「合格祈願(ごうじゃくきがん)」「学業成就」。

出雲大社は「縁結(えんむす)び」「恋愛成就(れんあいじょうじゅ)」、京都の伏見稲荷は「商売繁盛(しょうばいはんじょう)」などそれぞれ得意分野がある。

 

しかし、伊勢神宮にはその得意分野ないようだ。

日本を代表する神社だけあって、そのご利益はオールラウンドということができるだろう。

だから、伊勢神宮に参拝するときにはあれこれと願い事をあげつらうことなく、ただただ深々と礼をして柏手(かしわで・拍手)を打てばすべての願い事は聞き入れてくれるということなのだろう。

 

伊勢神宮で個人的なご利益を願ってはならない!?

伊勢神宮では個人的な祈願をしてはいけないと古くからいわれている。

これには誤解もあるようだが、もともと神道(しんとう・神社の信仰)はムラ単位のもので、個人的な信仰ではなかった。

 

つまり、五穀豊穣(ごこくほうじょう・豊作)や疫病退散(えきびょうたいさん)など、ムラ全体の繁栄や災厄(さいやく・災害)の回避などが願われたのである。

神社はムラの結束を強めるための重要な役割を果たしていたのである。

 

しかし、おそらく鎌倉時代(かまくらじだい)の末から室町時代(むろまちじだい)のはじめごろになると、個人的な祈願も行われるようになった。

これには個人の宗教である仏教の影響もあるが、ムラの祖先を主体にした氏神(うじがみ)のほかに、さまざまな神がムラの周辺やムラの中にまつられるようになったからである。

 

つまり、交通が発達して旅人などの往来が見られるようになり、また、ムラ人の中にも遠方まで出かけて行く人が現れたのである。

経済圏が広がって人々の行動範囲が広がることによって、遠方の見知らぬ神々が次々にムラに持ち込まれたのである。

 

こうなると、ムラの主体となる氏神さまにはムラ全体の祈願を、それ以外の神には家々や個人的な祈願をするようになった。

つまり、このころから日本人は氏神とそれ以外の神々との使い分けをしてきたのである。

 

そして、伊勢神宮についても事情は同じで、とくに大化の改新以降、国家的な神社となったために、国家全体の祈願をする神社となったのである。

だから、伊勢神宮では個人的な願い事をしてはいけないといわれてきたのである。

 

とりわけ、明治維新(めいじいしん)で伊勢神宮が国家の代表としてクローズアップされると、個人的な祈願はいわばタブー視され、国家全体の安泰(あんたい)や繁栄(はんえい)を祈る神社として特別に重んじられたのである。

 

しかし、第二大戦後はそのようなタブーもなくなった。

伊勢神宮や国がどう考えているかは分からないが、今は参拝者が自由にそれぞれの願い事をしても構わないといっていいだろう。

 

伊勢神宮の歴史は何年?ご利益や神様についてまとめ

  • 内宮と外宮を含む一二五もの神社の総体が伊勢の皇大神宮である。
  • もともと天皇家の神様(氏神)だった。
  • 七世紀の終わりには現在の規模と様式の社殿が建てられ、以降、二〇年に一度の式年遷宮が行われている。